2015.11.03 たからものの本/青銭兵六 Tweet Auther : 青銭兵六Circle : POINT-ZEROTwitter : @Hyourock Tweet コメント いぐあな より: 2015年11月3日 3:55 PM 切ないです。一番、平和を謳歌していい年頃の子が、物語でしか平和を知らないどころか「平和」の言葉すらしらないという…。 胸にずしりときます。 返信 なな より: 2015年11月3日 8:32 PM ふと、平和の反対ってなんだろう?と考えてしまったお話。 子どもにとっては今見ている世界がすべてなんだろうなぁと。 返信 納豆 より: 2015年12月8日 2:12 PM 12月6日に福岡県で開催された福Ade4さんで委託品のポストカード集を頂き、「たからものの本」を拝読しました。その後こちらのサイトに伺いました。 最初「たからものの本」のポストカードを見た時、あれ、白黒?? と感じました。だけど、単に、印刷を白黒でされただけで、特に意味は無いのだろうと感じました。 そしてお話を拝読しました。 6行目までは、「ぼく」のお兄さんが弟に本を譲ったのは、単純に、きっとその本が児童向けや絵本などで、お兄さんは子供から青年になり、今興味が有ることの対象が変わり、その本をもう読まなくなったから、だけど小さいころ何度も読み返して楽しかった本だし、じゃあ今小さい子供である弟へ譲ろう、と考えたんだろうな、と感じながら拝読しました。小さいころ好きでもう読まなくなった本を、年の離れた弟に譲る。そんな何でもない日常のお話かと思ったんです。 ですが、7行目を読んで、えっ? と思って。 「戦争」? そして「ぼく」は「戦争」が何なのか知らない。お兄さんが何をしているのかも良くは分からない。けれど「平和」を知らない「ぼく」から見て、「兄が何をしているのか、良くはわからない。」の、「良くはわからない」ところ、ここの「良くは」のところ。「戦争」が何なのか知らない「ぼく」から見ても、お兄さんが、良くはわからないけど何となく何か、負の事(悲しいとか苦しいとか辛いとか空虚とか)をしに行っていることは、帰ってきたお兄さんと接する中で、何となく、感じているんじゃないかと感じました。 けれど同時に「ぼく」は「平和」を知らないから、そもそも、負の事がない状態、を、知らない。 悲しいとか苦しいとか辛いとか空虚とか、そういうものが身近で日常にあることが「ぼく」と「兄」には普通の状態で、嬉しいとか楽しいとか喜びとか満ち足りたとか、そういう負の逆、平和の状態が、「自分の」事として日常のあることを知らない、自分で体験していない。のだと感じました。 「平和」を知らないことが当たり前の「戦争」の中にいる「ぼく」が、本を読んで、「この本には、ぼくの知らない国で~」(P4~6)、遠い場所にいる知らない誰かの楽しい日常が描かれた本を読むのが好きだと感じている。そしてタイトルが「たからものの本」。これは世界にとっての「たからもの」なのか、この「ぼく」にとって「たからもの」なのか。想うと胸が痛くなります…。 平和を知らない「ぼく」が、遠い場所にいる平和な世界の平和な日常を読むことが「好き」で、だけど書かれている「平和」は分からない。これは、平和に過ごしているどこかの誰かに対して羨ましいだとか妬ましいだとか、つまりどうして自分にはそれがないだとかいう、「自分にもその平和が本来あるはずなのに」という感覚がこの子にはもうない。この「ぼく」には「平和」というものが初めから自分と切り離された世界なんだと感じました。「ぼく」の日常に、自分にも「平和」が当たり前に与えられるものだという感覚が、無い。 そして改めてこのポストカードを拝見した時、デザインが白黒である事に改めて気が付き、グワッと胃のあたりに何か重い石みたいなものが込み上げてくる感覚がしました。そして背景が、これは、レンガや石…でしょうか? 違っていたらすみません。。。白黒の石、壁。眺めていると、「行き止まり」「ここで終わり」「閉鎖」「墓標」「死」「死の記録」なんとなく、そんな気持ちがしました。 そして、このご作品媒体が、紙媒体、またはネット媒体であることを考えた時、それはリアルタイムで配信されているものではないと思った時に、この「ぼく」は「兄」は、今、この世にいるのだろうか? と思うと、胃とコメカミのあたりがグワッと重くなる感覚が致しました。 1枚のポストカードから、そこに綴られたご作品の世界に、大切なご作品の世界を拝見させて頂いている気持ちです。ありがとうございます。ポストカード大切にします。 まとまりのない乱文感想(そして色々好き放題な感想を…!)失礼致しました。 返信 青銭兵六 より: 2015年12月9日 9:38 PM 納豆様。 丁寧な感想、本当にありがとうございます。 好き放題だなんて、とんでもない。本当に真摯な感想に、背筋を正す思いです。 拙作を大事にしていただけるとの事、感謝の言葉もございません。 これからも、このような感想をいただけるよう、精進して参ります。 返信 コメントを残す コメントをキャンセル コメント 名前 * メールアドレス(公開はされません。) *
切ないです。一番、平和を謳歌していい年頃の子が、物語でしか平和を知らないどころか「平和」の言葉すらしらないという…。
胸にずしりときます。
ふと、平和の反対ってなんだろう?と考えてしまったお話。
子どもにとっては今見ている世界がすべてなんだろうなぁと。
12月6日に福岡県で開催された福Ade4さんで委託品のポストカード集を頂き、「たからものの本」を拝読しました。その後こちらのサイトに伺いました。
最初「たからものの本」のポストカードを見た時、あれ、白黒?? と感じました。だけど、単に、印刷を白黒でされただけで、特に意味は無いのだろうと感じました。
そしてお話を拝読しました。
6行目までは、「ぼく」のお兄さんが弟に本を譲ったのは、単純に、きっとその本が児童向けや絵本などで、お兄さんは子供から青年になり、今興味が有ることの対象が変わり、その本をもう読まなくなったから、だけど小さいころ何度も読み返して楽しかった本だし、じゃあ今小さい子供である弟へ譲ろう、と考えたんだろうな、と感じながら拝読しました。小さいころ好きでもう読まなくなった本を、年の離れた弟に譲る。そんな何でもない日常のお話かと思ったんです。
ですが、7行目を読んで、えっ? と思って。
「戦争」? そして「ぼく」は「戦争」が何なのか知らない。お兄さんが何をしているのかも良くは分からない。けれど「平和」を知らない「ぼく」から見て、「兄が何をしているのか、良くはわからない。」の、「良くはわからない」ところ、ここの「良くは」のところ。「戦争」が何なのか知らない「ぼく」から見ても、お兄さんが、良くはわからないけど何となく何か、負の事(悲しいとか苦しいとか辛いとか空虚とか)をしに行っていることは、帰ってきたお兄さんと接する中で、何となく、感じているんじゃないかと感じました。
けれど同時に「ぼく」は「平和」を知らないから、そもそも、負の事がない状態、を、知らない。
悲しいとか苦しいとか辛いとか空虚とか、そういうものが身近で日常にあることが「ぼく」と「兄」には普通の状態で、嬉しいとか楽しいとか喜びとか満ち足りたとか、そういう負の逆、平和の状態が、「自分の」事として日常のあることを知らない、自分で体験していない。のだと感じました。
「平和」を知らないことが当たり前の「戦争」の中にいる「ぼく」が、本を読んで、「この本には、ぼくの知らない国で~」(P4~6)、遠い場所にいる知らない誰かの楽しい日常が描かれた本を読むのが好きだと感じている。そしてタイトルが「たからものの本」。これは世界にとっての「たからもの」なのか、この「ぼく」にとって「たからもの」なのか。想うと胸が痛くなります…。
平和を知らない「ぼく」が、遠い場所にいる平和な世界の平和な日常を読むことが「好き」で、だけど書かれている「平和」は分からない。これは、平和に過ごしているどこかの誰かに対して羨ましいだとか妬ましいだとか、つまりどうして自分にはそれがないだとかいう、「自分にもその平和が本来あるはずなのに」という感覚がこの子にはもうない。この「ぼく」には「平和」というものが初めから自分と切り離された世界なんだと感じました。「ぼく」の日常に、自分にも「平和」が当たり前に与えられるものだという感覚が、無い。
そして改めてこのポストカードを拝見した時、デザインが白黒である事に改めて気が付き、グワッと胃のあたりに何か重い石みたいなものが込み上げてくる感覚がしました。そして背景が、これは、レンガや石…でしょうか? 違っていたらすみません。。。白黒の石、壁。眺めていると、「行き止まり」「ここで終わり」「閉鎖」「墓標」「死」「死の記録」なんとなく、そんな気持ちがしました。
そして、このご作品媒体が、紙媒体、またはネット媒体であることを考えた時、それはリアルタイムで配信されているものではないと思った時に、この「ぼく」は「兄」は、今、この世にいるのだろうか? と思うと、胃とコメカミのあたりがグワッと重くなる感覚が致しました。
1枚のポストカードから、そこに綴られたご作品の世界に、大切なご作品の世界を拝見させて頂いている気持ちです。ありがとうございます。ポストカード大切にします。
まとまりのない乱文感想(そして色々好き放題な感想を…!)失礼致しました。
納豆様。
丁寧な感想、本当にありがとうございます。
好き放題だなんて、とんでもない。本当に真摯な感想に、背筋を正す思いです。
拙作を大事にしていただけるとの事、感謝の言葉もございません。
これからも、このような感想をいただけるよう、精進して参ります。